緑色の微睡み

睡眠不足です

1月に見た映画

かがみの孤城

様々な部分に謎を解き明かすことで進んでいく展開は見事という他なく、心情を丁寧に描写できているのはストーリーの力がある証拠だと言えると思う。

作劇上仕方ないのだろうが、やけに誇張された悪意あるキャラクターがいたのは少々稚拙だな、と思いつつも登場人物の心情に寄り添ったこれだけのストーリーを作り上げた原作の辻村深月は作家として円熟期に入ったのか、と思った。

高校生が校舎に閉じ込められるデビュー作『冷たい校舎の時は止まる』と似た部分があるのは、それの発展形だからかもしれない。

原作は読んでないが、このストーリーはなかなか良くできたものだと思われる。

ただし、これを映像化した原恵一の監督としての手腕には疑問が残る。平坦で間延びした演出とメリハリのない脚本。それを統括する監督はこれでいいと思ったのだろうか?

最後の儀式のシーンまでただただ退屈だった『バースデー・ワンダーランド』からなんの進歩も感じられなかった。

 

『ナイブズアウト:グラスオニオン』(配信)

ダニエル・クレイグ演じる名探偵ブランの活躍を描くミステリー。

ブランのコミカルなキャラクターやある種のカリカチュアのようにしか思えない登場人物の造形、事件の全体像を露わにする時系列を入れ替えた映像による語りは見事に噛み合っており、映画としての完成度をあげている。

『最後のジェダイ』はゴミだが、ナイブズアウトシリーズを見るとライアン・ジョンソンの監督としての確かさを見て取れる。

スターウォーズに関わらない方が監督として評価されていたのではないのだろうか。

 

『ノースマン 導かれし復讐者』

北欧を舞台に叔父フィヨルニルに父であるオーヴァンディル王を殺され、母も奪われたアムレート王子の復讐譚。

下調べしていなかったのでほぼ前知識なしで見るつもりだったが、一緒に見た友人曰くアムレートはハムレットの元ネタになったような人物らしい。確かに言われて見るとハムレットと登場人物周辺の設定が非常によく似ている。

映画を見て思ったのは異常なまでに拘られたヴァイキングと当時の時代考証

個人的にはアムレートが復讐のために振るうことになる強力な剣にダマスカス鋼のような金属(ウルフバートなのかも)が使われていたり、狂戦士ベルセルクの戦闘が見られたり、現在ではキリスト教によって流刑に追いやられた神々が凄まじいパワーを放ちながら主人公の運命を語る様子が映し出されただけで、この映画の世界観にどっぷりと浸かれる。

当時の価値観を現代の価値観で否定するような野蛮な行いはせず、主人公アムレートはただ「殺す」という意思(途中で作劇上の都合によりそれが揺らぐが)を明確に示し復讐する。

この一貫したブレることのない映画作りには脱帽するしかない。

ただこの作品を楽しむためにはある程度の基礎知識が必要かも知れない。一緒に見た友人にはそれがあったし、僕個人も『流刑の神々・精霊物語』や『人狼伝説ー変身と人食いの迷信について』などといった古代ヨーロッパの信仰や風習についての書籍をいくらか読んだことがあった。

それが無ければこの映画はただの野蛮な価値観を持った狂った人間が殺戮を行う目を覆いたくなるような物語なのかもしれない。

あとからふと思ったのだが、サイバーパンクのナイトシティとか昔のヨーロッパみたいな暴力的な世界では生き残れる気がしない。文明化された現代に生まれて良かったな、と思います。

 

『ドリーム・ホース』

ウェールズの田舎で暮らす一人の女性が市民農園サラブレッドを生産し、ウェールズグランドナショナルを目指す映画。

映画としての作りは堅実で、見方によっては無難とも言えるが、ドリームアライアンスが力強く駆ける様子と同時に彼に懸けた人々のドラマも展開される。

人生を変えてしまうような何かに朝目覚めた時に思いを馳せたい、という主人公の思いを乗せてドリームアライアンスは結果を出し、大レースへ駒を進める。これだけで胸が熱くなるのは自分が一口馬主をやっているからだろうか。

個人の感想としては非常に感動することができた。

 

『イニシェリン島の精霊』

お前の無駄話には辟易した。そのまま何もせず年を取り、何も成し遂げないまま死にたくない。

そう主人公のパードリックは親友のコルムに突然の絶縁宣言を突きつけられる。パードリックは自分が悪かったなら謝ると言うがコルムはそれを受けず、これ以上関わると自分の指を切り落とすと告げる。

ヴァイオリン弾きであるコルムはこれからはただ無駄話をせずに作曲と思考にこれからの時間を使いたいと言う。それでもパードリックは急な関係の悪化を受け入れられず、コルムに関わってしまう。

こうして二人の関係は崩壊し、コルムが自らの指を落とし、パードリックの妹が島から出て行き、パードリックの周囲の環境は劇的に変化していく。

この物語は死を予告する精霊をモチーフに作られたと言うが、死を予告する不気味な老婆は直接物語に関わってはこない。ただ起こりうる死を告げるだけである。

しかし老婆の存在がイニシェリン島という閉鎖的な環境を奇妙な存在に変化させているような気がする。

こうして長々と書いていると、この映画について何か分かったような気がしてくるが、スクリーンを眺めながらどういった読解をすれば良いのか、その糸口すら掴めなかった。

難解と一言で言ってしまえはそれで事足りるかもしれないが、自分にはこの映画を紐解く基礎的な知識が備わっていないような気がする。

しかしイニシェリン島の映像や、海の向こう側の本土で繰り広げられる戦争、死を予告する老婆の存在、こうした世界観は非常に魅力的だった。

これから何かしらのレビューを見てどういった解釈に落ち着けようか考えたいと思う。